Dec 03, 2010
借金の相談や専門機関に
負債に関連する問題は、毎回のように増加しているようです。可能な限り自分の収入で何とかしたいものです。専門機関で、的確なアドバイスを常に提唱しているのです。負債関係のようにすることが何よりです。お金の問題は、人の性格も変えていきます。それくらい恐ろしい存在であることを再確認しましょう。債務返済が不可能な場合、債務生理をすれば問題が片付くです。ビトイジャガ20%を超える借入であれば、お金を取り戻すことができるんです。これは、数年前まで、消費者金融業者は違法な金利を持って融資をしたからです。これが話題になった過払い金のことです。過払い金請求で借金返済の問題が片付くのがあるんですよ。
◇母校・臼田高で野球指導を継続
金沢桜丘高(金沢市)と上田高を甲子園に導き、現在母校の臼田高(佐久市)で指揮を執る草間清光監督(60)が今春、定年退職を迎える。これまでの35年間の監督人生で送り出した教え子は500人以上。先月26日には教え子が発起人となって退職記念パーティーが開かれた。
草間監督は旧臼田町(現・佐久市)出身。臼田高ではエースで4番、日体大では一塁手、外野手で4年時には5番を打った。大学卒業後に石川県の高校教諭となり、1974年から金沢桜丘を8年間指導。75年夏に甲子園に導き、1勝した。
82年からは県内へ戻り、上田高へ。13年間指導し、87年夏に甲子園出場。97年から11年間、野沢北高(佐久市)で指導し、08年から母校へ戻った。攻撃野球をモットーとし、筋力トレーニングも県内でいち早く取り入れた。
県内の中学や高校には門下生が散らばり、監督の教えは脈々と受け継がれている。「チームが結果を出しただけでなく、多くの指導者を生み育て、尊敬を集めている」(岸田章・上田東高監督)と評価する。
恩師の退職記念パーティーには、21〜54歳の金沢桜丘、上田、野沢北の教え子を中心に約170人が集まった。上田高OBで、同市内の中学校で野球を教える坂巻幸治さん(45)は、赴任したばかりの草間監督から「勉強はするな。オレは甲子園へ行くぞ」と言われ驚いたエピソードを披露。
野沢北高OBで慶応大野球部で主将を務めた湯本達司さん(23)は、「監督に恩返しをしたい思いで大学で野球をして、(昨年春に)11季ぶりに優勝できた。草間先生の下で野球ができたのは非常に大きかった」と感謝の言葉を述べた。
草間監督は定年後もしばらくは母校で指導を続ける予定だ。「これからもノックバットを振ってもらいたい」という教え子たちの思いを受け、これからもグラウンドに立つ。【福田智沙】
3月28日朝刊
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◇小諸市人事(4月1日)
【部長級】総務部参事企画課長(企画課長)土屋政紀▽総務部参事財政課長(財政課長)清水茂夫▽市民生活部長(議会事務局長)佐藤郁夫▽教育次長(教育委員会子ども教育課長)内堀和雄▽議会事務局長(議会事務局次長)山浦恒雄
【退職】(31日)山浦利夫(市民生活部長)▽小山文登(教育次長)▽依田邦人(上下水道部参事御牧ケ原水道組合事務局長)
3月28日朝刊
運営費の負担割合などで協議が難航していた諏訪市、岡谷市、下諏訪町が共同で取り組む「湖周ごみ処理施設」の整備計画が合意に達して25日、3市町長が諏訪市役所で合意書を交わした。
可燃ごみを対象とする新施設は岡谷市内山の同市清掃工場敷地に建設され、処理能力は日量120トン。処理方式は未定。今年中に3市町で一部事務組合を設立し、15年度の稼働を目指す。運営費の負担割合は3市町のごみ搬入量に基づく「実績割」とし、新施設から出る焼却灰の最終処分場は諏訪市が整備することで合意した。
3市町は05年に基本計画を定め、11年度稼働を目指したが、協議が難航。09年には建設地の地元地区が反対を表明するなど、計画は大幅に遅れていた。地元地区は今月になって協力の意向を示したことなどで合意したという。【武田博仁】
3月28日朝刊
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◇仙台の避難所巡回「心の悩み聞き共感を」−−村山保健所地域保健予防課・金田真弓さん(47)
被災者同士で支え合う姿に心を打たれた。仙台市宮城野区の避難所で活動した村山保健所地域保健予防課の保健師、金田真弓さん(47)は「家も車も何もかも流された人たちが、逆境の中で他人を気遣い合っていた」としみじみと語る。
金田さんは、14日から20日まで、仙台港から約2キロ内陸の仙台市宮城野区の市立中野栄小と併設するコミュニティーセンター、市立中野中の各避難所で、被災者の血圧測定などの健康チェックや、感染症対策としての手洗いやうがいの呼びかけをしてきた。でも、もっと大事なことがある。「話を聞くこと。被災者はみな、つらい現実に直面している。私たちができることは、じっくり耳を傾け、共感すること」
中野栄小の避難所では、避難していた40代後半の女性が「必要でしょう」と60枚入りのおむつを持って帰ってきた。生後3週間の赤ちゃんを持つ20代の母親を気遣ってのことだ。「必要な薬を薬局に買いに行って、避難所に赤ちゃんがいると話したら店長さんが譲ってくれたの」と説明した。若い母親は「ありがとうございます。こんなに優しくしてもらえるなんて」と笑みを浮かべた。金田さんは「あんなに幸せな笑顔を避難所で見られるなんて思ってもみなかった」と語る。
高台に住んでいて津波に直接襲われなかったため、停電が復旧した後に家に帰れた50代の女性は「今、一番必要なのは温かい食べ物」と、スープを作って避難所に戻ってきた。「おいしい」「うれしい」。若い人も年を取った人も一様に湯気の立つ熱々のスープをすすった。金田さんは「一緒に避難していたからこそ、ほしい物が分かる。それを作って持ってきてくれる。助け合っているから、つらい経験をした被災者も笑顔を取り戻せる」と振り返る。
気がかりもある。仙台市宮城野区港3のコンベンションセンター「夢メッセ」の屋上に上り、命を取り留めた70代の男性は血圧を測ってもらいながら、「自分の会社と家が流されるのを見た」とぼうぜんと金田さんに語った。いつもは140だという血圧は180まで上がっていた。余震におびえ、ほとんど眠れない人も多い。「被災者の多くは最初の1、2週間は命が助かったという興奮状態。その興奮が覚めた時、家や仕事を失った現実と向かい合わなくてはならない」と言う。
村山保健所は震災発生直後から交代で保健師を宮城野区の避難所に派遣している。「私が聞いた一人一人の心の内を、次に行く保健師に伝えることが今の私にできること」と金田さんは話している。【前田洋平】
3月28日朝刊
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